メス

大型メスアメリカザリガニ 母性と捕食シーン

水底は暗かった。
泥が薄く舞い、その向こうから二本の長い触角が伸びてきた。
左右へ。
水を撫でる。
匂いを拾う。
振動を拾う。
その根元から、大型メスアメリカザリガニが現れた。
メスだ。
見ればわかる。
赤黒い頭胸甲。
節ごとに重なった腹部。
表面を覆う硬い外骨格。
第一胸脚だけが異様に発達し、左右の鋏が身体の前でゆっくり開いている。
大型メスアメリカザリガニは一匹ではなかった。
腹の下に、数百個の卵を抱えていた。
黒褐色の卵が腹肢の一本一本へ房状に接着され、腹部の内側を隙間なく埋めている。
卵の中には小さな眼点があった。
まだ外を見たことのない黒い点。
何百個もの眼が、母親の腹の下で同じ水を待っている。
腹肢が動く。
一定の間隔で。
前へ。
後ろへ。
新しい水が卵のあいだを通り抜ける。
酸素を運び、沈殿した泥を払い、古い水を外へ押し出す。
大型メスアメリカザリガニは歩きながら、腹の下だけを休ませない。
母親の後半身は、何百個もの卵へ呼吸を送っている。
前半身は、こちらを見つけていた。
複眼が動く。
短い第一触角が水を刻む。
長い第二触角が身体へ触れた。
一度。
離れる。
もう一度。
鋏が開いた。
閉じた。
身体の中央を、左右から挟む。
速くはなかった。
逃げ道へ先に鋏を置き、そこから幅を狭めただけだった。
硬い鋏の内側には、細かな突起が並んでいる。
滑らない。
放さない。
大型メスアメリカザリガニは、片方の鋏で身体を固定した。
もう片方の鋏が端をつかむ。
引く。
外れる。
水中へ小さな断片が漂う。
第三顎脚がすぐに拾った。
長い脚のように見える顎脚が、断片を内側へ受け渡す。
第二顎脚。
第一顎脚。
口へ近づくほど、動きが細かくなる。
最後に大顎が閉じた。
硬いものを砕く音は、水の中では聞こえない。
振動だけが頭胸甲を伝わる。
鋏がまた身体へ戻る。
つかむ。
外す。
顎脚へ渡す。
大顎が磨り潰す。
同じ動作。
同じ順序。
迷わない。
大型メスアメリカザリガニは、食べながら腹肢を動かしている。
前半身が切り分ける。
後半身が卵へ水を送る。
鋏が閉じるたび、腹肢が開く。
顎脚が口へ運ぶたび、卵の房が水に揺れる。
捕食と保育が、同じ外骨格の中で同時に進んでいる。
母性のために鋏を止めない。
捕食のために卵を置かない。
どちらかへ切り替える必要がない。
大型メスアメリカザリガニにとって、守ることと食べることは、身体の前後へ割り振られた一つの動作だった。
歩脚が水底を踏む。
鋏がこちらを口元へ引き寄せる。
そのたび腹部がわずかに丸まり、卵の房が硬い尾節の内側へ収まる。
外側には鋏。
内側には卵。
捕らえるための殻と、守るための殻が同じ身体を作っている。
卵の一つが腹肢から浮きかけた。
大型メスアメリカザリガニは食べる動きを止めた。
細い歩脚を腹の下へ差し入れる。
卵の房を撫でる。
位置を直す。
絡んだものを分ける。
また腹肢を動かす。
水が通る。
卵が揺れる。
全部ついている。
確認が終わる。
鋏がこちらへ戻る。
捕食が再開する。
つかむ。
外す。
渡す。
砕く。
腹肢は止まらない。
卵の中で胚が動く。
小さな腹部が曲がる。
小さな鋏が胸元へ畳まれている。
母親と同じ形が、透明な卵膜の中に何百個も作られている。
それらが孵化しても、すぐには離れない。
稚ザリは母親の腹肢へつかまり、最初の脱皮をする。
もう一度脱皮する。
自分で歩ける形になるまで、母親の腹の下で水を受け続ける。
大型メスアメリカザリガニは、そのあいだも食べる。
水草。
死骸。
小動物。
同種。
鋏で分けられるものを分け、顎脚で運べるものを運び、大顎で潰せるものを潰す。
口へ消えたものが母体を維持する。
母体が腹肢を動かす。
腹肢が卵を生かす。
食べることが、そのまま守ることへ続いている。
最後の断片が顎脚へ渡された。
大型メスアメリカザリガニは、腹の下の卵を一つも落とさなかった。
私だけが、鋏から顎脚へ、顎脚から口へ、少しずつ運ばれていった。